寿司図鑑1~856貫目は旧コンテンツからの移行データの為、小さい写真の記事が多くあります。
浜近/ブリ
はまち / ブリ
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関西、瀬戸内海沿岸で40センチ〜50センチのブリをハマチという。
これに漢字「浜近」を当てたのはボクの勝手な考えからだ。
ブリと比べると浜近くにいて、
大きくなると外海へ去ってしまう。
ようするに浜近くの「浜」とは瀬戸内海沿岸で、
瀬戸内海にいるサイズが50センチ以下で「浜近」。
「ハマチ」というどこかしら響きのいい言葉が、
一時期養殖ものの代名詞となったことがある。
まことに不愉快極まりないデキゴトであって、
未だに「ハマチ=養殖ブリ」などと
愚かにも思っている人が多いのはまことに残念だ。
なぜ養殖ブリを「ハマチ」と呼ばれるようになったのか?
これは間違いなく大正末期から昭和の初期にかけて
香川県引田町で始められたブリの養殖は、
瀬戸内海の湾を仕切って始められたために
あまり大きく育てられなかったのもあるだろうけれども、
実は関西では古くから瀬戸内海でとれたハマチサイズである
30センチ〜50センチ弱が大好きだったからだ。
ようするに瀬戸内海を泳いでいるハマチサイズが、
紀州沖や土佐湾などでとれるブリよりも好きだったのだ。
古い書籍に、昔はあっさり上品な味が好まれたなどと書かれているが、
そうではないというのは後々読めばわかる。
正真正銘の天然もののハマチは、それほどライトな味じゃない。
ボクの生まれ育った、徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)は
山間部にある商業の町だった。
そこで暮らす父や祖母にとって
あこがれだったのが、ハマチだった。
ボクはこの父達のいう「ハマチ」の真価を知らなかったのである。
愚かにも。
ただボクの世代、すなわち1950年代生まれのほとんど総てが、
この大きな思い違いをしているのだね。
驚くのは今でも我が故郷では「ハマチの刺身」がよく売れる。
ただしこれは本来のハマチではなく、
ブリサイズである60センチ〜80センチ上まで育てられた養殖ものである。
養殖ブリはまずくはない、ある意味うまいかもしれないが、
餌で作られた(味つけされた)人工の味、
最近、すし職人のたかさんとよく話すことだけど、
養殖魚総てが一定の通奏低音に似た同類の味がする。
不気味だ!
それを今でも山間部の我が故郷では好んで食べている。
「ハマチ」にあこがれた余韻が悪い意味で
数十年後の今にも残っているのだ。
さて枕が長くなりすぎた。
今回の主役は明石浦漁業協同組合(明石市)から来たハマチである。
総て40センチ前後で1キロ弱の重さ。
活け締めのやり方が素晴らしいので、
まだ死後硬直していない。
最近、明石浦のハマチを手に入れるのは至難なので、
なんとか八王子総合卸売センター『高野水産』で
1尾確保して三枚に下ろすと、
驚くなかれ、身をよじらせて抵抗する。
皮がなかなかひけないのも、まだ身は生きているせいだろう。
『市場寿司 たか』にネタを持ち込むと、
必ず刺身にして味見するのだけど、
この時点でたかさんともども、
明石浦のハマチに圧倒されたのである。
旨みが濃厚なのである。
濃厚なのに舌の上からスススっと消える。
その後から甘みが襲ってくるのだけど、
身が甘いし、脂が甘い。
そうなんだ脂が乗っているんだ、とこの甘さから思い知らされる。
そして握りにしたその姿が「メチャクチャにきれいだ」。
すしの本を作るなら、表紙ものといった貫禄がある。
が、見た目以上に「うまい」ので
ボクの脳の上の方から桂ざこば師匠の声で「見てる場合やおまへんで!」
というガラガラ声が聞こえてきそう。
そして口に放り込んだら、これがまた大変なんですから。
ネタが下に当たった途端に、旨みがチンときて
ずいずいと強く感じられて消える。
そして甘みを感じるとともにすし飯と馴染み、
混ざり、そしてあれれと消えて行く。
まだまだ話は続くのだ!
翌日がこれ以上に味がいい。
そしてまだまだ、なんと3日目のはもっと上。
次回は4日目まで試してみるかな?
「たかさん、もう一かんつけてよ!」
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ブリ
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