このしろ寿し
このしろすし / コノシロ
握り nigiri軍艦巻 gunkanmaki海苔巻 Norimaki丼・ちらし Don/Chirashi郷土ずし Kyoudozushiなれずし Narezushiいずし Izushiいなりずし Inarizushiその他 Others
京都府北部、兵庫県との境にある京丹後市久美浜町で発見した、『河清商店』の「このしろ寿し」は、酢で締めたコノシロの腹におからを詰めた姿ずしである。江戸時代以前からある久美浜名物だという。
丹後を治めていた細川家が、当時五大老筆頭だった徳川家康に謀反を疑われたときに久美浜城主であった松井康之の進言で、姿ずしである「このしろずし」を送ったなどという史話も残っているようだ。
ただ、本来、姿ずしではなく、同じく久美浜に残る、酢で締めたコノシロを細切りにし、酢で味をつけたおからで和えた「みぞれずし(『河清商店』では、おからまぶし)」だと思えるので、安土桃山時代に唐突に今の形ができたとは考えにくい。
そんな史話などはともかく、コノシロが久見浜湾でたくさんとれたことは間違いなく、「このしろずし」が久美浜で作られるようになって、やがて久美浜の名物となったのは必然ともいえそうだ。
おからをすし飯代わりに使った「こはだのすし」は江戸時代の守貞謾稿〈『近世風俗志(守貞謾稿)』(喜田川守貞著 宇佐美英機校訂 岩波文庫 天保8/1837)〉にもある。「こはだ」はコノシロの若い個体である。コノシロの「おからずし」は広島県でも作られている。また魚とおからを組み合わせたすしは山陰、山陽、四国に広く分布していることから、この久美浜の「このしろずし」も江戸から伝播したものではないかと考えられる。
さて久美浜町は久見浜湾のもっとも南、奥まったところにある。湾とは名ばかりで、海流で運ばれた砂で海と隔てられた湖である。このような湖を潟湖という。淡水湖であったのを水路を作ることで海と人工的に繋げて今日に至る。汽水域ならではの、シロウオ、クロダイやスズキ、ボラなどの魚介類がとれ、マガキやクルマエビの養殖も行われている。
コノシロ漁は秋から春にかけて漁が行われており、当然、「このしろずし」も漁のある時季に作られている。
作り方は、全長20cmくらいのコノシロを背開きにし、塩をして、一度洗い、甘酢に漬け込んだもの。それに甘酢で味付けしたおからをつめて、コノシロの魚体が少し弓なりになるように漬けてある。
この手のすしは保存性もあり甘味が強くなりすぎる傾向にあるが、非常にあっさりしている。しかもコノシロ自体に味と脂があり、魚の臭味はまったくない。
食べ飽きない味わいで、買い求めてきた3パックは9尾分はすぐになくなってしまった。
現在、コノシロ漁を行っている漁師さんはたった一人となっていて、しかもご高齢であるという。末永く作り続けて頂きたいが、大丈夫だろうか?
寿司ネタ(made of)
コノシロ
Dotted gizzard shad
本種の若魚「こはだ」は東京では江戸時代以来、江戸前を代表する「光りもの」である。本来は江戸時代、握りずしの種を色合いと、酢でしめるという仕事をほどこす魚という意味合いから生まれた・・・・
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