バッテラ
ばってら / マサバ
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子供の頃(1950年代後半から1960年代初め)、バッテラは四国徳島でもよく食べていて、徳島市内などで「お昼ご飯にバッテラ」ということもよくあることだった。このバッテラが関西、特に大阪市発祥のものらしいということは、子供の頃から知っていた気がする。徳島の片田舎では「大阪」というと新しい(ハイカラ)というイメージがあって、バッテラはそんななかにあっても比較的地方にもすぐ馴染んで流布したもののひとつではないかと思う。
サバを酢じめにして薄く切り、箱にすし飯を詰め、上にのせる。そこに白板昆布をのせて押す。ようするに今現在の「バッテラ」は押しずしである。京都の「棒ずし」、大阪の「松前ずし」と比べると材料費が安くつくので値段もお手頃となっている。
さて、このバッテラの語源はポルトガル語で「bateira」、すなわち「小舟」のこと。「ボーロ」、「タバコ」などポルトガル語から日本語化したものは多いが、池などに浮かべるボートのことを明治時時代の大阪では「バッテーラ」と呼んでいた。その「バッテーラ」がすしになり変化して「バッテラ」になったのだ。
さて、すしのバッテラは明治27、28年頃、大阪湾でそれまであまりとれなかったコノシロが突然大漁となった。当然、コノシロの価格は暴落。この安い魚に目をつけたのが、大阪市野田にある大阪中央市場関連棟にある「すし常」の何代か前のご主人。
当時、順慶町(船場と島之内の中間にあったとされ。町名は筒井順慶にちなむ)にあったが、さっそく仕入れて開き、酢で締めてすし飯をくるんで売り出す。このコノシロのすしの形が「バッテーラ」、すなわちボートに似ていたので、すしの名を「バッテラ」とする。名の面白さもあって大いに売れたが、なぜかまたパタリとコノシロがとれなくなり、これをサバに変えて、白板昆布をのせて、現在のバッテラの形になったという。
ということで、バッテラ発祥の店である大阪中央市場内の「すし常」を目指す。大阪中央市場は旧雑喉場(ざこば)のあった大阪市福島区野田を、場所はそのままに建て替えた。その近代的に生まれ変わった関連棟の高層16階にある。
窓からの眺めは壮大で、店の雰囲気は硬質でメタリック。店内のどこにも老舗を思わせるものはない。対応してくれる女性もまるで料亭の女将然として、微かに漂う酢の香りがなければ、すし屋にいるのを忘れそうである。
さて、元祖バッテラは1本を8切れに切って、420円(2009年)なり。あまりにも普通の、あまりにも基本的な形のバッテラであった。すし飯も酢で締めたサバも白板昆布(バッテラ昆布)もすべてよし、美味しいのであるが、大阪市内どこでも食べられる平均的なバッテラを老舗らしい風情の欠片もない発祥の店で食べた、それだけのことで終わり、なのである。
これをこんなメタリックな店ではなく、昔ながらの雑喉場で食べたら、それなりに感動できたかも知れない。昔の中央市場を知る、ご老人達が新しくなってよくなったことは大阪中央市場に限っては「そんなにあらしませんなー」と言うが、間違いなくそうなのだろうね。
2009年11月12日(2015年、すでに閉店)
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